喫茶店「目黒パウリスタ」(学芸大学・祐天寺)のコーヒーが教えてくれた幸せの形~カフェの元祖「銀座カフェーパウリスタ」の歴史とパウリスタチェーンの数少ない生き残り

春寒の合間にわずかな陽気。中央中通りを自転車でフフーンと。っとっとっと。ん? バックバック。

喫茶店があることは知っていました。けど、こんな看板だったかな。妙にかっこいい。いいや、入っちゃえ。

学芸大学駅から徒歩10分強。祐天寺駅からだと15分弱。中央中通り(旧区役所通り)にある喫茶店「目黒パウリスタ」。よく考えてみたら、パウリスタって名前もちゃんと見たのは初めてかもなぁ。パウリスタ? バリスタみたいな? なんだ?

「こんにちは」

扉を開けると、女性が二人座っていました。お一人は店主、お一人はお客さん。一瞬、店内の空気に緊張が走り、店主のお姉さんが席を立ちました。

「どうぞ」

「すみません、お休みのところ」

「いいえぇ。大丈夫ですよ」

カウンター6席ほどで、奥にはテーブル席も。カウンターには飲み終えたコーヒーカップが2、3残っていました。

「お忙しかったみたいですね」

「ちょうどお客さんがはけたところ」

「そうですか。お疲れのところすみません。じゃ、ブレンドをお願いします」

「はい」

年季の入ったポットでお湯を沸かすお姉さん。ちょいと時間がかかりそうです。いろいろ話を聞いてみました。

「パウリスタってどういう意味なんですか?」

「ブラジルのサンパウロってあるでしょ。江戸っ子というみたいに、サンパウロっ子っていう意味なの。銀座にパウリスタって喫茶店があって、昔はチェーン店がいっぱいあってね。うちもその内の一軒だったんだけど、今でも残ってるのはほんのわずか。もうチェーンではないんだけど、パウリスタのコーヒーが好きで」

帰って調べてみてビックリ。新橋寄りの中央通り沿いにある「銀座カフェーパウリスタ」は日本の喫茶店の元祖で、ブラジルコーヒーを日本に普及させた、喫茶店・カフェを語る上で大変重要なお店でした。詳しくは後ほどご紹介します。とりあえず、お姉さんの話を聞きましょう。

「こちらはどれくらいになるんですか?」

「一度やめてた時期があるの。また始めてからは4年くらいかしら。全部を合わせると30年くらい。若い人にお店を貸してたのよ」

これまた帰って調べたところ、「珈琲アヴェマリア」というお店でした。2008年ごろから数年間、営業していたようです。

さて、お湯が沸いたようです。ゆっくりと回すようにお湯を注ぎます。2度。そしてしばらく時間を置き、再びお湯を注ぐ。かすかに上半身でリズムを取りながら。

あああ。これは……。職人だ。職人の動作だ。

いい香りです。コーヒーに疎いので、正直、味自体はよくわかりません。だけど、濃厚でとてもおいしい。味がわからないのに、なぜおいしいかって? あの体の使い方をする人が淹れるコーヒーはおいしいんです。職人が作る物はうまいんです。私の貧しい舌なんかより、熟練の職人技の方が信用に足るに決まってますw

「おいしいですねぇ」

そう告げると、お姉さんは万遍の笑みを浮かべました。それはそれはかわいらしい。

「ありがとう。『おいしい』って言ってもらえるのが一番嬉しいの」

この笑顔は相当なもんだぞ。もちろん嬉しいんでしょうけど、もっと何かありそうだ。

引き続き、店主より数才年上と思しき隣のお姉さんも交えて話をします。

「ずっとこちらなんですか?」

「新川。最初は新川で喫茶店をやってて、30年前にこっちに来たの。けど、できてあと5年くらいかしらねぇ」

「いやいや、そのご様子でしたら、あと20年、30年とおできになりますよ」

「もう、そんなにできないわよ(笑)」

「30年かぁ。この辺りも随分変わったって、ご近隣の方から話を聞きます」

「そう、古いお店はどんどんなくなって」

「区役所が移転したのも大きいって」

「そう! 本当、そうなの。反対運動もあったんだけど、移転することは決まってたのよね。だから、何を言っても無駄。私たちの知らないところで話は進むのよ。この辺りは年寄りばかりでしょう。若い人がもっとお店を出してくれたらいいんだけど……」

コーヒーを2/3くらい飲んだところで、隣のお姉さんはお店を出られました。お店には私とお店のお姉さんの二人きり。

店内をゆっくり見回します。そこにあるひとつひとつのものをじっくり観察。それぞれに歴史があって、それぞれが何かを語りかけてくるように感じます。

「そのポット、年季が入っててカッコイイですね」

「ぜんぜん磨いてないから(笑)」

いま調べてわかったのですが、銅製のポットもシルバーのポットもコーヒーを受けるサーバーも、そしておそらくフィルターをセットするドリッパーも、すべてKalita(カリタ)製。日本のコーヒー器具メーカーで、製品はすべてメイド・イン・ジャパン。「銀座カフェーパウリスタ」も扱っている商品です。

「これだけいろいろ調味料があるってことは、メニューに書いてある以外もランチとかでお出しになってるんですか?」

「ここで自分の食事も作っちゃうの。だから自分用(笑)」

「カレンダー5つもありますね(笑)」

「どうしても貼っちゃうのよ」

「もらって使わないともったいないですよね。何かご趣味とかあるんですか?」

ちょっとモジモジするお姉さん。

「下手の横好きなんだけど、絵を描いたり。以前は。その絵も……」

「え? あれですか?」

「そう」

「ええええ」

近づいて見てみてました。

「もう! 恥ずかしいわ」

「いやいや。すごいですよ」

「そんなことないわよ!」

いやぁ。うまいよねぇw

さて、ブレンドのおかわりは150円ということなので、もう一杯、頂くことにしました。先ほどと同様、ゆっくり2回、回すようにお湯を注ぎ、時間を開けてまた注ぎます。

「趣味はないけど、こうやってコーヒーを淹れてるのが一番幸せかなぁ」

「コツとかってあるんですか?」

「大したことはないのよ。最初に2回お湯を注ぐとか、紙のフィルターにお湯がかからないようにするとか。昔にそう教わったから。最近はいろんな淹れ方するわよねぇ」

「焙煎機のあるお店もあったりしますね」

「ここを貸してたって言ったでしょ。その時のお兄さんも、そこに焙煎機置いて淹れてたわよ。でも、そこまでして一杯600円、700円ってねぇ。このあたりでそんなコーヒーを入れてもお客さんはなかなか来てくれないわよ」

コーヒーカップにコーヒーを注ぎながら、こんなことをおっしゃいました。

「このカップ、もう銀座でも使ってないの。ここにあるだけ。あ、砂糖とミルクはお使いになる?」

一杯目はブラックのまま飲んだので、砂糖とミルクが丸々余っていました。

「せっかくだし、次は入れてみます。そして、『パウリスタ』って文字がちゃんと写るように写真撮りますw」

よく見たら、コーヒーフレッシュもパウリスタ。とことんパウリスタなんだなw

明治41年(1908年)、最初の移民793名が日本からブラジルへ渡りました。この移民を計画したのは水野龍(みずのりょう)。詳細は他所に譲りますが、日本とブラジル双方の思惑が一致した移民事業だったのですが、当初は困難を極めるものでした。

赤字を抱え大変な思いをしている水野龍に、ブラジルのサンパウロ州政庁は年間1,000俵の珈琲豆の無償供与と東洋の一手宣伝販売権を与え、日本におけるブラジル珈琲の普及事業を委託します。

そんな水野龍は西洋にカフェーなるものがあると知り、日本に戻って、明治44年(1911年)、大隈重信に協力を仰ぎつつ、銀座に「カフェーパウリスタ」を開店させます。そして、無料でもらい受けたコーヒー豆を使い、庶民でも気軽に飲める値段でコーヒーを提供。西洋のハイカラな飲み物が飲めると評判になりました。

日本最初の本格的な喫茶店とされているのは、明治21年(1888年)開店の「可否茶館(かひさかん)」(上野/1892年閉店)です。そして、カフェの元祖と言われているのは「カフェー・プランタン」(1945年、戦争の影響で閉店)、「カフェー・ライオン」(現・銀座ライオン)、「カフェーパウリスタ」。3店はいずれも、明治44年(1911年)、銀座で開店しました。

つまり、初の庶民喫茶店にして、現存する最古のカフェが「カフェーパウリスタ」ということになります。そして、「カフェーパウリスタ」と直接関係のある(あった)、「パウリスタ」を店名に冠する喫茶店・カフェは現在、数軒だけで、その内の一軒がここ「目黒パウリスタ」というわけです。

もちろん、コーヒーを飲んでいる時はそんなことを知る由もありません。こういう昔ながらの喫茶店って少なくなってきてるよなぁ、こういう喫茶店っていいよなぁと思う程度でした。

【参考サイト】
銀座カフェーパウリスタの歴史
wikipedia:カフェーパウリスタ

「いやぁ、こうして砂糖とミルクを入れて甘くしてもおいしいですね」

「そうなの! このコーヒーって濃いでしょ。だから、中にはひと口飲んで『うっ』ってなる人もいるくらい。それくらい濃いから甘くてもおいしいのよ」

笑顔で、そして誇らしげにそう語るお姉さん。喫茶店を開くのが夢で、そして実際に喫茶店を開き、大好きな「カフェーパウリスタ」のコーヒーを淹れ続けて数十年。惚れに惚れた歴史のあるコーヒーを「おいしい」と言ってもらえるのは、お姉さんにとって本当に嬉しいことなんですね。

団体さんがやってきました。近隣の常連さんのようです。私好みの甘い味わいになったコーヒーを飲み干し、お会計を済ませ、コートを着ます。

「ごちそうさまでした。おいしかったです」

「ありがとうございます」

少女のような笑顔を背に受けながら、店をあとにしました。

私はコーヒー好きではありません。だけど、なぜ「目黒パウリスタ」にこれほど魅力を感じるのか。もちろん、少々の懐古趣味があることは否定しません。でも、そんなことより、こう思うんです。

何でもいい。何かに惚れこみ、それに身も心も捧げる。そのさまを見るのが好きなんだなぁ。きっと。そして、そうすることが、そうできるってことが幸せってことなんだよ。たぶん。だってさ、そうじゃなきゃ、あんな笑顔できないって。

あの笑顔は本当に幸せな証拠です。そして、そんな幸せな姿を見せてもらえて、私も少しそのおすそわけをしてもらえたような気がしたのです。俺もあんな笑顔ができるようになるといいな。

目黒パウリスタ
東京都目黒区中町1-36-7
03-3792-5312

カフェーパウリスタと目黒パウリスタにまつわる余談

目黒パウリスタの店名の変移

上述の通り、「目黒パウリスタ」は2007年、2008年ごろに一度閉店しました。閉店前は「パウリスタ 目黒店」「パウリスタ 目黒区役所通店」と看板に表記されていたようです。

東京自由人日記(※記事中段参照)

カフェーパウリスタの幻の一号店

銀座に「カフェーパウリスタ」が開店したのは明治44年(1911年)12月12日。そして、これが一号店とされてきました。ところが2000年前後のこと。明治44年(1911年)6月25日、大阪・箕面駅前に「カフエーパウリスタ 箕面店」がオープンしていたことが判明しました。ただ、箕面店に関することはあやふやなことも多く、実情はまだはっきりとはわかっていないようです。

海外移住資料館:研究紀要第8号「旧カフエーパウリスタ箕面店が提起する問題」(中牧弘允 吹田市立博物館・館長)
国内最古のカフェはパウリスタ箕面店?

銀ブラの語源

「銀座カフェーパウリスタ」は「銀ブラとは銀座でブラジルコーヒーを飲むこと(≒カフェーパウリスタでコーヒーを飲むこと)」と強弁しています。カフェーパウリスタ(日東珈琲)の5代目社長・長谷川泰三氏が言い始めたとされているのですが、これには根拠がないとされています(民間語源)。銀ブラは銀座をぶらぶらするという意味です。

wikipedia:銀ブラ

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後藤ひろし(ひろぽん)

雑誌・書籍編集兼ライター、ウェブディレクター。主に学芸大学駅(学大)界隈で飲んでます。学芸大学で巡ったお店の数は約350軒。

https://twitter.com/gokky_510

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